この式典に参加して以来、本年まで長崎、広島の式典を交互に参加しています。全国から参加される多数の人々に出遭い、非戦平和の願いの熱意に感動させられます。

コラム

非戦平和の願い

「非戦平和の願い」は阿弥陀仏の本願の第1願「無三悪趣(むさんまくしゅ)」第2願「不更悪趣(ふきょうあくしゅ)」に願いの根拠があります。
「無三悪趣」の願い…私は地獄(戦争)と餓鬼(欠乏)と畜生(恐怖)の無い世界を願う。
「不更悪趣」の願い…再度戦争(地獄)と欠乏(餓鬼)と恐怖(畜生)の無い世界を願う。
(戦争、欠乏、恐怖の表記は、児玉暁洋師の表現を使いました)

「長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典]

平成19年8月7日から9日まで、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加するために一人で長崎に行きました。
猛暑の3日間ではありましたが、現地では多数の参加者と共に核兵器の廃絶と恒久平和の実現を誓いました。

8月7日(火)
まず7日には市民会館体育館を会場にして開催された「原水爆禁止2007年世界大会」の開会総会に参加し、各国から参加された代表の挨拶、報告、発言を聞き、その後は分科会に参加し真剣な意見を熱く語り合いました。
体育館に入りきれない参加者の全員が非核非戦を誓うのですが、一握りの肯定する政治家と企業家によって核拡散と戦争の現実があるという理不尽な現状を憂います。
夕食はホテルの近くにあった創作割烹で飲食をしました。
途中で常連客である元長崎放送の編集局にいた方と同席となり、平和式典のことについて語り合いました。
話題の中で核廃絶の運動に対する宗教者の関わりはどうであるかを尋ねてみました。
返答は「積極的に運動をしている方は一部に見かけるが、しかし大半は寺の法務に没頭している。
特に既成仏教の坊さんがそうだ。さらに、言葉の表現が現実と符合しないまま発信していることが多くあり、理解し難いものがある。しっかり努力しないと時代から離れ民衆から見放されるかもしれない。
明日の夕刻に開催される慰霊祭は年々イベント化してきて被爆者の痛みとか願いが聞こえにくくなってきたように思う」厳しい言葉に返す言葉が無く、ついつい飲みすぎて泥酔状態になりました。

シンポジウムに参加して

8月8日(水)
翌日の8日午前中は、ホテル横にある長崎原爆資料館 の見学を行い被爆の悲惨な現状を知りました。
私が住む千葉県も投下の候補地になっていたことを知り驚きました。
午後2時からは「北東アジアの非核化の実現に向けて」をテーマにしたシンポジウムに参加。
政府からは外務省(軍備管理軍縮課長)の担当者、核廃絶の団体からは連合、原水禁、核禁会議の3団体から各1名の4人のパネリストが登壇し、取り組み報告と課題を各々が発表し、核廃絶の困難な現実を知らされると同時に、核保有に固執する国家為政者の愚かさを感じました。
午後5時までの熱気のある討論に感心しました。

「第35回原爆殉難者慰霊祭」に参列して

8月8日(水)
夕刻午後7時からは長崎原爆落下中心地公園で執り行われた「第35回原爆殉難者慰霊祭」に参列。
主催は長崎県宗教者懇話会。既成仏教、神道系、キリスト教系、その他宗教各派に拠るもので厳粛な中で行われました。 しかし私は昨日の割烹料理店での言葉が耳に残りながらこの祭事に参列しています。
祭事の途中には慰霊の儀として献花、献水を行う。祭事の終盤にはテノール歌手の秋川雅史さんが歌う「千の風になって」に公園いっぱいに響き渡る歌声に参列者が聞き入っていました。

平和を祈る灯籠

8月8日(水)
夜 午後9時頃には平和公園に移動して長崎県内の 幼稚園児、保育園児、小学校生による手作りの平和を祈る言葉が書かれた千個以上はあるだろう牛乳パックを型にした蝋細工の灯籠を見ました。
公園入り口の階段から歩道のすべてが平和を祈る願いの言葉が灯りで揺れていました。
「原爆投下もしょうがない」発言をした、長崎県出身の久間前防衛大臣はこの平和を祈る灯りを見たのだろうか。